Chapter-6
科学温故知新
日本の地下鉄の礎を築いた「早川徳次(はやかわ・のりつぐ)」
地下鉄は世界の大都市における最も重要な交通機関の一つです。日本においても東京、大阪、名古屋、福岡といった大都市では地下鉄網が発達し、地上の渋滞緩和と都市内の大量輸送に大きな役目を担っています。
日本の地下鉄の歴史は1927年の東京で始まりましたが、この日本で最初の地下鉄を開通させたのが山梨県出身の早川徳次(のりつぐ)でした。
なお、電機メーカーのシャープ創業者も漢字で書くと同姓同名ですが、シャープ創業者は「はやかわ・とくじ」さんで別人です。
1881年に生まれた早川は早稲田大学法学部卒業後政治家を目指し満州鉄道株式会社初代総裁後藤新平に師事したが後藤が逓信大臣兼鉄道院総裁となったことをきっかけに実業家へ転身し以後鉄道事業を志すようになりました。
鉄道と港湾のとの連携の研究のために1914年にロンドンを視察に訪れましたが、このとき、ロンドンの公共交通機関網の充実に目を見張ります。日本では交通機関といえば路面電車だけで路線バスさえまだ無かったこの時代に、すでにロンドンでは路面電車、鉄道、バス、地下鉄がテムズ川の上を下をひっきりなしに行き交っていました。早川は東京もロンドンに習って地下鉄での交通の混雑緩和を計るべきだと考え、1年間この地にとどまって地下鉄の研究を行いました。
帰国後、自ら街頭に立ち東京の交通量調査を行った結果、新橋−銀座−上野−浅草感がもっとも路面電車が混雑しており、この区間に日本最初の地下鉄を運行することを決意しました。その総事業費は2100万円。しかし、第一次世界大戦、関東大震災と日本は経済不況のどん底に陥り、資金確保もままならない状況となりました。
結局、確保できた資金1000万円でとりあえず上野−浅草間を開業し、これが東洋で最初の地下鉄となりました。駅改札口にはコイン式の自動改札機を設置し、車両には自動ドアや自動列車提訴うちを備えた世界で最先端の地下鉄でした。
その後念願の新橋開通を果たしましたが、ライバル会社の東京高速鉄道との経営権抗争に敗れ、不遇の晩年を故郷山梨で送ったと言うことです。