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2009年4月25日
Chapter-235 ゴッホの絵画に隠されていた黒猫の発見
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ゴッホは1853年にオランダで生まれた画家です。ひろしま美術館が「ドービニーの庭」というタイトルのゴッホの絵を収蔵しているのですが、この絵はゴッホの死後描き直されている可能性があるということで、本当に改変されているのか、されているとすれば元の絵はどのようなものだったのか、について調査が行われました。
「ドービニーの庭」は同じタイトルの絵がスイスのバーゼル美術館にも収蔵されています。バーゼル美術館に収蔵されているものの方が先に描かれ、ひろしま美術館の作品はバーゼルの作品をゴッホ自身が模写したものです。
ゴッホは、生前は絵が不評で全く売れませんでしたので画商を営む弟の援助を受けて生活していましたが、その弟に宛てた書簡にこの「ドービニーの庭」の構図を詳しく述べているものがあり、その記述の中に前景に一匹の黒猫を描いていると書き残しています。この書簡のとおり、バーゼル美術館の作品には庭を横切る黒猫が描かれていますが、ひろしま美術館の作品にぱ黒猫の姿はありません。バーゼル美術館の作品で黒猫が描かれている場所はひろしま美術館の作品では茶褐色に塗られているため、ひろしま美術館の作品も同じ場所に黒猫が元々は描かれていたものの、何らかの経緯によって塗りつぶされた可能性があると思われました。
そこで、蛍光X線を用いた分析が行われました。蛍光X線分析とは、ゴッホの絵にX線を照射すると、照射された部分の絵の具の中の電子が動き回ってエネルギーを放出します。この放出されるエネルギーを蛍光X線といいます。蛍光X線の種類は、それがどのような原子から飛び出したかによって決まっていますので、それを調べることによって絵の具に含まれる原子の種類がわかります。絵の具は色ごとに異なる原子を含みますので、原子がわかればそこに何色が塗られていたのかもわかると言うことです。
いくつかの検討を行った結果、塗りつぶされた部分には鉄元素が存在していることがわかりました。バーゼル美術館の黒猫は、青色のプルシャン・ブルーで描かれていますが、これは化学的にはフェロシアン化第二鉄カリといいます。つまり、鉄元素が含まれている絵の具で黒猫が描かれているのです。
そこで、原子から出るX線を顕微鏡で拡大して調べることのできる装置を使って鉄原子の分布を調べて、プルシャン・ブルーで塗られていた形を再現したところ、猫の頭、首、前足、胴、そしてしっぽの形状が現れました。つまり、ひろしま美術館の「ドービニーの庭」にも猫が描かれていたことが明らかとなったのです。さらに、猫の姿に合わせてクロムと鉛も塗られていることがわかりました。クロムと鉛が使われている絵の具は黄色のクロム・イエローです。両者の発見をあわせて考えると、ひろしまの猫は黄色のクロム・イエローと青色のプルシャン・ブルーをまぜて描いていたことになります。この両方の色を混ぜてできる色は緑色です。すなわち、ゴッホは黒猫を緑色で描いていたのです。
また、今回の分析からゴッホがこの作品の黒猫をどのような手順で描いたのかもわかりました。黒猫の周辺の芝には亜鉛元素が含まれていましたが、黒猫の部分からは亜鉛元素は検出されませんでした。つまり、緑色で芝を描いた際、黒猫を描く予定の場所は芝を描かずにあけておき、あとからクロム・イエローとプルシャン・ブルーを混ぜて調合した絵の具で黒猫を描いたらしいのです。
塗りつぶされた部分以外も同様の分析を行ったところ、この絵が様々な改変を受けていることがわかりました。仮にそれらを復元したとすると、ひろしま美術館の作品は今よりも全体的に鮮やかな透明感のある色彩で表現されていたものと思われます。研究者は、この絵の改変はゴッホ没後の1901年4月頃に、画家であり、ゴッホ作品の収集家でもあったエミール・シェフネッケルによって行われたのではないかと推察しています。
改変された理由はおそらく、当時のゴッホの絵は全く人気がなかったので、第三者が絵を売るために、当時流行の画風に改変したものとおもわれます。そのような行為は20世紀初頭には普通に行われていたようです。
参考文献
アイソトープニュース 2009年4月号
吉備国際大学 下山進
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